自治労滋賀県職員労働組合 書記長の森川です。

 

東日本大震災10周年に向けて

 

 東日本大震災10周年に向けて、犠牲者の方々に改めて哀悼の意を示すとともに、これまで復興に携われた全ての方、援助等を行ってくださった世界中の方々に感謝します。

 

 私の話をします。

東日本大震災(以下「震災」とします。)が発生した時、3月の年度末であったこともあり体調が優れていなかったのか、めまいがしていると感じていました。これが震災の影響であることを知るには、時間は不要でした。

 

私には、苦い思い出ありました。阪神大震災当時、私は、大学1年生で、ボランティアの重要性を感じていましたが、阪神大震災の惨状をテレビで見て、「僕は何もできない」と臆病風に吹かれました。募金程度はしましたが、現地に駆けつけるわけでもなく、自分自身が思うほど、行動出来ないことに、忸怩たる思いでした。同時に「次、大きな災害が発生したら、必ず、役に立つ存在になろう」と決意しました。

 

震災時、私は入庁10年を超え、農業土木技術者として、現場監督や事務手続きも多くこなし、技術士も取得しているなど、脂が乗り始める時期でした。私は、震災直後真っ先に所属長に対し「県庁から派遣の要請があった場合、ぜひ行かせていただきたい」と述べ、実際その年の10月に福島県新地町へ復興支援に向かいました。

 

初めて福島県に入った時、新地町の海岸を見た私の気持ちは、今でも鮮明に覚えています。

浜辺には、太平洋から穏やかな波が優しく押し寄せていました。しかし浮遊物を見ると膨大な生活資材が、空虚に漂っていました。周囲に目を向けると、一面平面で、多くの家屋を失った建物基礎が無機質にまた整然と配置されていました。

 

まるで、映画のセットの中にいるようで、現実なのに、映画のセットの中にいるような、非現実性に大きなショックを受けて、自らの正気を保つため、太平洋に向けて大声をあげました。その大声もすぐに消え去り、波の音だけが聞こえる恐ろしい静寂を覚えました。これだけの惨状なのに海があまりにも穏やかで、何もなかったかのような状況で、かえって不気味さを覚えました。「ここで、多くの人が亡くなったのだな」と知りました。さらに周囲の小高い丘には、真新しい墓石が立ち並び、当時の凄まじい情景を想起させました。

 

新地町では、多くの人出会い、また先輩の助けもあって精勤することができました。不眠で仕事をしたわけでもないのですが、手を抜いたわけでもないのに時間ばかりが経過して、滋賀県に帰郷することとなりました。

 

学生時代に感じた、自らの無力さをかき消すため、入庁以来技術者として腕も向上させるよう努力し、技術士も取得しましたが、復興に関わることで、一人の人間として限界を感じました。だからこそ、多くの人と団結して物事に対応する大切さを感じました。

 

震災後、さらに10年が経過し、私も行政人生の半分を折り返していますが、技術者としてどのように世の発展や安定を図るのか、常に考えています。学生時代の私には、「頑張って過ごしたけど、思ったよりできることは少なかったよ。でも、その悔しさが今の自分につながっている。ありがとう」と感謝したいです。

 

 

震災後、10年が経過して、私自身の震災の記憶も風化しています。しかし、初心を忘れず、改めて東北を見続けたいと感じています。そして起こるであろう、次の震災に対して、しっかりと対応していきます。

 

 

自治労滋賀県職員労働組合 書記長の森川です。

 

7月4日からの大雨は、日本中に大きな爪痕を残しています。

被災された方々には、まずは、哀悼の意を表すとともに、一日も早い復興を祈念いたします。

本組合においては、各職場において、九州における被害に対して、寄付を募っております。

ぜひ、協力いただければと思います。

 

さて、今回の大雨により、避難勧告が発令され、かく言う私も、居住地に発令されたことから、勧告に従い避難しました。

結果として、勧告が杞憂になり、「避難しなくてもよかった」と思われる方も一部存在すると思います。

また、そもそも「避難の必要はない」と判断される方もおられると思います。

しかし私たちは、東日本大震災により「津波警報」が発令されていたにもかかわらず、甚大な人名が損なわれたことを忘れてはなりません。

私は、避難勧告が将来起こるであろう災害に対して、心と状況を準備する場であると位置づけています。実際、我が家の子供たちは数回の避難を経験しているため、円滑に準備を実施するとともに、私自身も避難行動までを短時間で実施できるようになりました。

 

避難することは、面倒ですが、やはり人命を第一にしたい。そして、これまで災害で亡くなられた方々を大切に思うためにも、避難行動はしっかり行いたいと考えています。

 

まだまだ、梅雨は終わらず、台風時期も先であり、コロナ禍も加わって、人、組織、社会のあり方や存在意義が問われる事象が多発していますが、しっかりと対応したいと思います。

 

皆さんも、ご自愛いただき、何かありましたら、ぜひ組合にご相談ください。

 

 

 

 

4月から書記長となりました、森川です。

組合書記長として、日々走り回っています。

私の役割は、多岐にわたりますが、みなさんが仕事をしやすい環境をどう整えるかと思っています。

これを前提に、給与、身分、職場環境、そしてコロナ対策への取り組みを行っています。

組合は、みなさんの力を結集することで、滋賀県庁の力を高め、そして県民サービスの向上につながると考えています。

「平和と安定は、団結と協力に支えられた道徳観から生まれる。」 フランシスコ教皇

大切にしたい言葉と、考えています。

みなさん、よろしくお願いします。

 

第10回びわ湖一周オレンジリボンたすきリレーサポーター募集

「子どもの笑顔が一番!」を合言葉に、児童虐待の防止と啓発を訴えつつびわ湖一周をたすきリレーする「オレンジリボンたすきリレー」。これを主催するCFRびわこのスタッフやゲストランナーで東京パラリンピックで金メダルを目指す視覚障害者マラソンの近藤ひろ子さんが、リレーへの参加を呼び掛ける会見を県庁で開きました。人口当たりの虐待通報件数は全国的にも高いのが滋賀県。しかし通報件数が多いということは子どもの安全や健やかな成長を社会全体で気に掛ける気風の表れでもあります。今年10年目となるこの取り組みの成果でもありましょう。今年のたすきリレーは10月19日,20日の二日間。最短で700m~の区間を何区間走ってもよい。参加は無料で申し込みは8月31日まで。会見終了後、書記局で少しくつろいでいただきました。

「佐藤弘樹氏の訃報に寄せて」

 もちろん会ったことはない私もその声がいつも自分に寄り添っていてくれたと感じるひとりだ特に今の立場になってからは佐藤氏の仕事や働き方ということに対する深い洞察とわかりやすい語りはずいぶんと参考になったその声と語りを聴けると思うと通勤に出る勇気が沸いたのだ

 佐藤氏とはもちろん、FM京都のDJ25年以上務められた佐藤弘樹氏のことである。「京都の朝の顔の突然の訃報に惜別の声が途切れることなく同局に届く日常にスパイスをきかせるだけでなく人生の転機や辛苦の日も穏やかな語りに励まされた人がいかに多かったか」(71日付け京都新聞凡語から抜粋)。佐藤氏がこれほど多くの共感を得たのは得手勝手な分析だがどのようなことがらに対してもその表と裏を意識して語っていたからでないだろうか。「正面から見えることに意見するだけでなくその背後にあることへの共感これこそが佐藤さんが常に述べてきたことなのだと思う翻って今の社会や職場環境のありようはどうかこのように考え自らの足らざる実践に生かしていきたい

 それにしても25あのよく響く落ち着いた声は、あまりにあたりまえの日常と化して、それがなくなったことがいまだに信じられない月命日の今日あらためてご冥福をお祈りします (書記長)

 

 

「じちろう野球大会滋賀県予選

 

今年度のじちろう野球大会は6月1日が初日。野洲市中主B&G運動公園での開会式ののち、3か所に分かれて試合が行われました。

じちろう県職チームは近江八幡 運動公園グランドに移動し、1回戦を湖南市職労チームと対戦。

じちろうチームは1回、守備の乱れをつかれ3点を先取されるもその後はよく守り、チャンスをうかがった。

試合が動いたのは4回。5番大菅が2塁へ出て続く中尾がレフト方向へ長打。中尾はよく走り、なんとランニングホームランとなった。

その後もよく打ったが点にはつながらず、相手チームにホームランも出て2-8で涙をのんだ。

監督は試合を振り返り、「練習ができてなく心配したが、みんなよく打った。相手のホームランに試合を持っていかれてしまった。」と述べた。

じちろうバレーボール大会」

 

5/26長浜市浅井B&G体育館でじちろうバレーボール大会が行われました。

近畿大会の予選もかねたこの大会に当組合も参加。連取不足も何のその、見事準優勝を勝ち取りました。

なお優勝は東近江市職労でした。さすが!

「県総をもっと知ろう。オープンホスピタル」 

 

この日曜日、県立総合病院では、県総をもっと知ろう!とのかけ声で「オープンホスピタル」が実施されました。医療機器展示・体験コーナーでは、普段見られない設備が見れるとあってお客さんひっきりなしの大盛況。書記長は所用で行けなかったけれど、運営に関わった多数の組合員さん、お疲れ様でした!(書記長)

「びわ湖ホール四大テノール!」

 

ゴールデンウィーク2日目のびわ湖ホールは、天候にも恵まれ、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」へのお客さんでたいへんな賑わいです。びわ湖ホールの快進撃は、音楽とお笑いを融合させたこの4人から始まりました!(書記長)

「海津大崎七分咲き」

 

書記長業務の大きな部分は、資材の移送などでの各地の移動であったりする。特にこの時期は、短時間で結構長距離を移動することが多い。今日は大津から高島、長浜と回る琵琶湖一周コース。先を急ぐ経路だったが、めったにないタイミング。思い切って海津大崎を経由した。あいにくの天気だったが、滋賀の財産ともいえる桜並木を目にすることができた。満開は、この週末ごろだろうか。(書記長)